
朝、七時半から開店していると言ったカフェに行ったものの、開く気配がなく、スーパーでハンバーガーとミニトマトを買いました。朝七時半なのに、お野菜たくさんのバーガーが買えることにビックリです。さすが、ザンビア。
といっても、七時半に開店しないところが、なんともアフリカちっくですけれど。
迎えに来てくださったM夫妻と最初に向かったのは「ルサカ国立博物館」でした。
ザンビアの歴史や生活の様子などを、模型や写真で展示しています。「黒魔術」みたいなものやら、英国からの独立戦争の絵画、今日にいたる大統領の顔写真などが展示されていました。

その後、サンデイマーケットに連れいていって下さいました。そこは、ザンビアの民芸市で、私は嬉々として、自分へのお土産を買ってしまいました(笑)
アンゴラでは、売っていても、そもそもアンゴラ製かあやしいし、値段もびっくりするような高値ですから、一度も買ったことがありません。
お昼は、シュガーフィールドと呼ばれる場所にあるレストランへ。
素敵な一戸建てのおうちのレストラン。ここには有機野菜の畑があり、それを売っていたり、アクセサリーやザンビアの革製品を売っていたりもします。
どの料理もおいしかったし、どこを見ても、つまり、インテリアも素敵だし、咲く花の数々も美しく、私は癒されていました。
子供が遊ぶ場所も、大きな樹にブランコがくくられていたり、とにかく楽しそうな場所。キコとミコも気に入って、ダーリンをよんで遊び続けていました。

主にここは外国人が集まる場所。駐在の日本人もよくここを訪れるそうです。ここザンビアには海外青年協力隊やシニアボランティアが入っているので、200人弱いるそうです。
私はアンゴラにいて、殆ど食材と生活雑貨しか買い物をしていないので、「買い物欲」が爆発。
そのシュガーフィールドにあるアクセサリーや革製品、どれも欲しくなる自分にダーリンが、いい意味のブレーキをかけてくれるので助かりました(笑)
一旦、ホテルに戻り、夕食はイタリアンへ。そこでは、M夫妻の計らいで、2005年にアンゴラで男の子を出産したという日本人家族と会うことができました。
ちなみに偶然、彼女のことは、アンゴラを調べていた赴任前、海外で出産した女性の声を集めたサイトで読んでいました。

彼女達がいたころは、つまり内戦後2年という時期で、3週間停電があり、階段の窓ガラスは全てないとか、雨が降ると窓から滝のような雨が隙間から入ってきて、新聞紙とタオルで防いだとか、そんなんだったそうです。
一人目の出産をアンゴラでして、そんな環境での育児で、耐えられなくなり、一年半で日本に帰国した奥様。ご主人は四年いたそうです。
私に「アンゴラにいるときは、それだけで十分だから、無理しないでとしかいえない。
頑張って、なんて、言えない。いるだけで、十分頑張っているんだから」と言ってくれました。
彼女達がいたころに比べれば、今はだいぶいいです。私がいる二年間で、「使える」スーパーが二軒増えたし、当時よりずっと渋滞がましになっています。
第二子をアンゴラで出産した方がいらした当初も、三時間の渋滞。やれることは、1日一つのみ。という時代があったそうです。今はそこまでひどくない。

でも、基本は変わっていないアンゴラ。ということに落ち着きました(苦笑) だから、私達の出国前の話には、深くうなづいてくれた彼女。アンゴラを知っている人には、よく理解される話だと感じました。
お互い知っているレストランがあったり、今も日本人駐在員の家で働くお手伝いさんや、アンゴラ生活のせいで、買いだめの癖がついたことに笑ったり、アンゴラがあったから、ここザンビアの暮らしが快適だと話してくれることに、私も強く頷けました。
その間、Aさんが、子供たちをフルアテンド。キコはアンゴラ生まれの男の子と一緒に、ミコは、同じ学年になる二歳になったばかりの女の子と一緒に手をつないだり、仲良く遊ぶことができました。
ダーリンは、アンゴラに四年駐在していたご主人と、カメラに残っていたルアンダの今の写真を見せながら、いろんな話をしていたようです。

Mさんご夫妻のおかげで、ザンビアでアンゴラつながりができるとは、びっくりでした。本当に有り難いことです。
それにしても、やはりアンゴラは特殊だなと感じます。南アフリカ、ナミビア、ザンビア、こうしてアフリカの国を旅してみると、よくわかります。経済成長率が世界一を記録したことのあるアンゴラだけど、実態はどうなのでしょうね。
首都ルアンダには、高層ビルもにょきにょき建っているけれど、それ以前にやるべきこと、インフラの整備や教育にお金を注がないと、見た目はどうにかなっても、国として成長して行かないような気がしています。
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