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2005/01/27 フォゴンの使い方

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ブラジルのガス台は、オーブンとガス台が一体になっていて、フォゴンという。上は4つ口のガス台で、下はガスオーブンになっている。大変便利だけど、二人暮しだからか、フル活用したためしがない。ちなみにこのフォゴン、中を照らす照明灯はあるのに、温度計がない。うちのは「強、中、弱」という火の大きさだけ。適当に焼くのはいいけど、ケーキなどには温度調節が必要だから、日本のオーブン用の温度計を入れている。それでも、自分の必要な温度にするまでに20分以上はかかるし、焼いてからも目を離せない。手間がかかるオーブンなのだ。はっと気がつくと、180度で保ちたいのに、200度になっていて、そのため、扉をちょっと開けて、まず10度下げる。そうすると、ドアを閉めたときには、オーブン内の温度は下がり始めていて、180度になる。やっと分かったやり方だ。とはいえ、私はよく忘れるので、ケーキは焦げる。だから、軽く焼き色がついたら、早めにアルミ箔で覆っているよ。
使い方のもう一つは、暖房!今は夏だからそういう使い方はしないけど、冬は日差しが出ているとあったかいのに、部屋の中や日陰はブルブル。そんなときは、フォゴンだ。大変重宝した。冬の朝、まずはファンヒーターをつけるように、私は台所でフォゴンをつける。つけながら、朝食の準備をしていた。
最初は、こんなことも嫌だった。日本ではこうだと比べては、手間がかかることを嫌がった。日本は便利で、品物も信用できる。でもここでは、賞味期限すら調べて買うのが原則だし、なんでもしっかり確認が必要だ。面倒だけど、それによって、自分の快適さがあるだと思う。視点を変えればいいこと。視点を変えるのは、なんだか小さいときのほうが自然にできていたような気がするよ。それに、慣れてみたら、たいした苦労にもならないのだけどね。

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2005/01/26 いいところ!

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私は髪が長い。それを理由にしているわけじゃないけれど、ヘアサロンに頻繁に行く必要がないと思っている。日本でも、3ヶ月に一度くらいだった。今日は一時帰国で馴染みのスタイリストさんにやってもらった以来のヘアカットだ。日系人がオーナーの、日系人の多い「SOHO蒼鳳」というヘアサロン。予約はポルトガル語だか、お店に直接行けば、予約表を見ながらだから分かるし、髪を切ってくれるのは2世のマリーナさん。丁寧な日本語だし、結構上手だと思う。もともとのラインを崩さずにカットして、パーマも思ったとおりの大きなウェーブでゆったりとかけてくれた。梳きバサミを使って梳いてくれたし。よく短くなりすぎると聞くけど、彼女はかなり上手だと思う。ブラジルではストレートパーマが流行っていると教えてくれたけど、私は痛むのが嫌だし、もともと癖のある毛なので、それを活かしたナチュラルパーマがお気に入りだ。首が焼けるのが嫌なので、短くしたくないし。
日本で気に入っていたサロンに大学生から通っていたから、細かく言えば色々ある。洗い方が雑だとか、パーマ液が首に滴ってくるとかね。でも、いいところもあって、例えば、洗髪後のマッサージはじっくりやってくれて、すごく気持ちがいいし、「番茶かカフェ」が選べるし、私は気に入ってる。日本人がスタイリストをしているお店を利用すると、やっぱり割高。かといって、私のポルトガル語は表現する力を持っていない。だから、私には日系人のスタイリストさんが一番いい。サンパウロってつくづくいいところだと思う。

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2005/01/25 二つのお財布

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歩いて3分くらいのところに強盗が入った。日本人駐在員が被害にあった。一つの世帯の被害なのに、被害金額はかなり大きくて、へぇそんなに大金が家にあるんだぁ~と同じ日本人の私もびっくりした。でも、ご本人に怪我はなく、それだけでも救われるなぁと思った。
私たちはいつもお財布を二つ持っている。車にもお財布を置いている。これは、強盗にあったときに手渡すため。中には領事館から指導があった金額を入れている。嫌だけど、それで命が助かるんだから、安いんだろうな。大事なお財布は、友達がファッジ(愛犬)が死んだことを知って、お誕生日にくれた犬のお財布。強盗にあげるお財布は、友達や妹が置いていった100円ショップの財布だ。ふふふ。
外を歩くときは、超大事なものは身につけない。高校のときに母親に買ってもらった10年来の時計は、ダブルフェイスのお気に入り。だけど、強盗によこせといわれたら、私はきっと抵抗してしまう。抵抗したら、殆どはバキュン!だ。だから、時計は身につけない。携帯画面があるし、街中にある時計と温度計が交互に代わる看板で十分。そんなに急ぐこともなくなってるし。そうそう、最初はシンプルなアクセサリーでも、つけるのをためらった。だって、どれも大事なアクセサリーなんだもの。値段じゃない。だけど、そうしていたら、心が寂しくなった。もともと付けるのが好きだから、悲しくなってきてしまったのだ。パートナーは、アクセサリーはお金で買えるんだからといって、付けるように勧めてくれた。サンパウロに住んでいたら、当たり前のことだけどね、命より大事なものはないなって感じる回数が格段と増えたよ。

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2005/01/24 初めてのお札と帳尻あわせの不思議

money1ブラジルには、100,50,20,10,5,2,1の紙幣と1,50,25,10,5,1の硬貨がある。紙幣はレアルで、硬貨は1レアルがあるけれど、それ以外は、レアルの下のセンターボという硬貨である。日本までの葉書きや50グラムまでの定形封書は「1.90」だから、「1レアル90センターボ」ということだ。実は初めて、100レアルを見た。パートナーが持っていたので、取替えっこしてもらった。先日オーロプレットという街の貨幣博物館で、100レアルの存在を知ったけれど、見たことはなかったのだった。紙幣の表(だと思ってる)はおなじ人が書いてある。Deus Seja Luvadoという神様みたい。月桂樹を頭に巻いてるしね。裏はそれぞれ違って可愛い。100レアルがGaroupaというカサゴ科のお魚、オンサという豹、サル、オウム、海亀、ハチドリが描いてある。ちなみに10レアル紙幣は、記念紙幣もあって、ツルツルしてておもちゃっぽいのもあるよ。money2
ところで、ブラジルではスーパーのレジでお釣りがないことが多い。50レアルでさえ、まずは偽札かどうか毎回チェックされ、さらに店員の嫌な顔も付いてくる。きっと100は更に難しいだろうなぁ。あとびっくりするのは、端数の四捨五入。ちゃんと四捨五入じゃないんだけどね。例えばね、合計が、5.27だとする。5レアルと25センターボ出して、あとの2センターボだそうとする前に、レジを精算して、次の人のお会計を始めていたりする。ちゃんときっちりやるところもあるけれど、上のような状況で、2センターボがなくて、紙幣しかない場合はね。それを出そうとすると、「いいよ」といって、レシートには、5.27なのに、実際は5.25しか払っていないようなことも多い。もちろん逆におつりが少ないこともある。1とか2センターボくらいの話だけれどね。そうなるとニ捨三入かな。私の中では帳尻が合うというか、お小遣いメモくらいだからいいんだけど、スーパーとかどうしてるんだろうなぁ。

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2005/01/23 お肉を食べに

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ブラジル料理は?と聞かれると、シュラスコが有名かな。あとは豆の煮込みや魚介介シチューなんかだとおもう。お肉を食べに、お友達夫婦と出かけたよ。駐在の先輩夫婦から聞いたレストラン。セントロというコーヒー景気で栄えた街並みが残る古い地区。看板料理のTボーンステーキを頂きました。焼きすぎてちょっと硬かったけど、私の部位は柔らかくてジューシー。なにより、お肉の迫力にびっくりしちゃった。チョリソーも美味しかったよ♪
それから、ライブがあるというお店へ。すぐ傍で音楽を奏でてくれて、かなり気持ちよかった。あえて意識せず聞けるというのは、BGMには最適だと思う。結構有名な曲も多かったらしく、パートナーが教えてくれた。カウンターの後、テーブル席に通してくれたときは、裏に広がる静かな住宅街と遠くのビル街のライトと、まるいお月さまの構成がとても美しかった。それはそれは気持ちのよい夜でした。

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2005/01/22 馬は風

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今週はずっと雨で、太陽が土から水を奪うほど、出てこなかったから、テニスはキャンセル。馬場は水溜りでぐちゃぐちゃで、パセイオ(お散歩)になった。いつもと違う子に乗って、馬場でやるように速足させたつもりが、いつの間にか馬は超駆け足に。林の中の上りの直線を、パカパカパカって駈けました。スピードになれず、いや、そのスピードを生身で体感することになれず、怖くなって馬の首につかまりそうな感じになって、前傾姿勢になっていた。そうなると馬への負荷はたぶん軽くなって、馬はさらによく走る。ビュッビュッビュびゅーん。私の耳は風の音を知る。そうそう、スキーのようだった。怖かったけど、気持ちよかった。馬と一体感があり、風を感じる瞬間だった。馬が気持ちよさそうに強く蹴り上げる力強い蹄の音が、私の体に響いた。馬を止めたとき、馬は大きく激しく呼吸していたし、私の足は無意識に震えていた。パートナーに「りこ、すごい早さだったね」と言われた。
私自身の呼吸を整えるのに時間がかかり、そのあとはずっと並足で景色を眺めながらお散歩したよ。途中水が流れていて、その流れる水を馬が歩く音が、可愛い音だった。馬がもっと好きになった。puppy0122
乗馬クラブに子猫と子犬がいた。うちでは小学生から犬を飼っていたし、親戚の家にも犬がいたし、父は戌年だし、母も妹も動物が好きなので、動物が大好き。犬は特に好きだ。乗馬クラブの犬は、かわいかったー。ね、すっごく可愛いでしょ?じゃれてくるのがかわいくて、私もパートナーも癒されました。乗馬クラブは、森の中。横浜の緑の多い家で育った私には、緑が懐かしい。生えている植物こそ違うけれど、柔らかい酸素が細胞をよみがえらせる。画像の赤い花は、いつも下向きで、開かずに、ボテっと落ちてしまう不思議なお花。馬と犬と植物で、私は毎週癒されている。

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2005/01/21 味を変えて

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作りたくなるモードになると、次々とやってみたくなるのが私のお菓子作り。ココのところ、どよよ~んとした天気が続いて、気分転換したいというのもある。今度はココアフルーツケーキ。先日の抹茶ケーキと同様に、基本のパウンドケーキをアレンジして、漬け置いたドライフルーツとココアパウダーをいれたよ。ドライフルーツの赤や緑のチェリーは、私は好きじゃない。パフェに乗っかっていたり、ケーキの自分の分にくっついていたりすると、ちょっと嬉しくなるけれど、不自然すぎる色とチェリーとは思えない味が苦手だ。だから、自分の好きな果物だけで漬けて、常備している。身近に売っているレーズン、サルタナ、干しいちじくを一緒にして、ラム酒に漬けてあるんだ。ヨーグルトにかけて、蜂蜜と一緒に混ぜて食べてもおいしいよ。
身近に売っている干しいちじくは、砂糖で煮固めたものなのだけど、これがむしろいいみたい。図らずも、出来上がりは甘さ控えめで使いやすい。ケーキは、基本のケーキを、好き勝手にしているせいか、40分経っても、中がどろどろ。アルミ箔をかぶせて、10分。ちょうどよく焼きあがった。焼きすぎたかも…と思ったけど、中は意外とふんわりして、ラム酒も香って、いい感じ♪パートナーもおかわりしてくれたほど。

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2005/01/20 抹茶ケーキ

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私はリスのように食べ物をストックしている。リスと違うのは、忘れてしまうことだ。日本のお菓子は大事にしすぎて、よく賞味期限ぎりぎりになったりするしかもせっかく開けたお菓子だからと、日ごろお世話になっているご近所におすそ分けしたりする。だから食べる分は、もとあったものよりずっと減っちゃうのだけれど、私たちは二人だし、おすそ分けがきっかけになって、時間も心も満たされる。
お菓子はたくさんあるけれど、思い立ってケーキを作った。簡単なパウンドケーキ。それに抹茶を入れただけだけど、色がきれいで、ちょっと凝ったようにも見える。味や匂いに抹茶は反映されていなかった。多分緑茶を使ったほうが、ずっとお茶の味はでるかも。まぁでも今日は私の初めての「アレンジバージョン」だから仕方ない。でもふんわりふかふか☆我ながら上手に出来たよ(^-^)食べたくなったら、次にやってみようっと♪

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2005/01/19 一年前と今日と日常

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ブラジルに滞在して一年経った。細かく言えば、一時帰国したりしているけれど、ちょうど一年前の今日、私はサンパウロに到着したよ。この一年はまた、彼と二人で始めた生活の期間とも重なる。2003年のゴールデンウィークくらいに、私はブラジルに旅行者として訪れ、縁があって、今、パートナーと一緒になり、サンパウロに住んでいる。一年前来たばかりの時も、ちょうど今と同じように、あのときの私の気持ちを映したかのような、どよ~んとした雲が広がっていたのを思い出した。
到着直後、27歳の私と16年間一緒にいた家族の愛犬が天に召したことを知り、とにかく泣いていた。今でもファッジは私の家族で、天使になった今は、自由に私のそばにも、日本の両親や妹夫婦のそばにもいてくれるんだと思っている。
さて一年経って、少しはポルトガル語も分かるようになった。耳が慣れてきたのと、文法が間違っていても通じるのが分かり、少ないけれど言葉を発する勇気ができてきた。更に治安が悪い中での生活にもだいぶ慣れた。終電で帰宅していた私が、薄暗くなると歩けなくなることに最初は苛立ち、ほとんどオフィスか飲み歩いていた私が、家で過ごす時間の多さに、我ながら驚いていた。今は、歩いていけるところに友達がいて、顔なじみになった魚屋さんやパン屋さん、写真屋さんがあって、夜はパートナーと一緒に食事をする。太陽が出ている間の生活サイクルに慣れてきた。慣れてみれば、これが自分に健康をもたらしているのだと分かる。
あっという間の一年が、無事に楽しく過ごせたのは、パートナーのおかげ。私が幸せだと感じていると伝えると、彼はとても嬉しそうにする。嬉しそうな彼の顔が、また私を幸せにしていく。

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2005/01/18 ヤクルト

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ブラジルにもヤクルトがある。世界にあるんだったよね?うちの近所や東洋人街の路上で、ヤクルトのオバサンも見かける。ブラジルでは、ヤクルチっていうんだ。私のお気に入りは、ヤクルトの豆乳。これが美味しい♪Adesという豆乳飲料もあるけど、量的にヤクルトは200MLだし、気分よく飲みきれるのでオススメです。特に、なんというか味のトーンが一番合うのが、パパイヤ&オレンジ味だと思う。他にいちご味、マラクジャ(パッションフルーツ)味、パイナップル味があるよ。今パートナーがはまっていて、欠かさず買うようにしているの。あとは、写真だと一番左のヤクルトのリンゴジュース。100%りんごっていうのが分かるし、体調が悪いときとか、からだに染み込んでいく感じがして、大好き☆

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2005/01/17 ピッツァリア

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サンパウロには、イタリア移民が多く入った。だから、イタリアンレストランが多いし、特にピッツアリア(ピザ屋さん)は結構多いと思う。ところで、マッサ(パスタ)には気をつけなければならない。大丈夫なお店も多いとは思うけれど、アルデンテではないんだもの。どろんとしたマッサを食べてから、どうも外で食べる気がしなくなってしまった。さらに、一皿が大きいから、二人で一つ頼んでも、ずっと同じ味は厳しいのでした。kama
でも、ピザは違う。どこも外れなく美味しいし、お値段も嬉しい。私は生ビールとピザの組み合わせが昔から大好きで、特にここでは、ショッピ(生ビール)とピザを楽しんでいる。一番小さいピザでも二人で十分だし、真ん中のサイズで、半分半分違う味にしてもらって、余れば持ち帰ることが出来るのも素敵でしょう?ちなみにピザ屋さんは、お昼はあいていない。窯に火を入れて温めてから使うので、夕方から営業だ。もちろん、ドミノピザは昼も宅配してくれるし、フードコートではいつもあるけれど、以前お昼に、「ピザ屋」と書いてあるから楽しみにして入ったら、「昼はピザはありません」といわれて、ショック・・・。
ちなみに土曜日に食べたピザは、パートナーが小学校時代に家族で食べたこともあるピザ屋さんだ。私たちは喉が乾いていて、あえて水も飲まずにここに辿りつき、ショッピをまずは頼んだ。私の喉を通ったショッピは、きっと世界で一番幸せな、待ち望まれたショッピにだったと思ったよ。

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2005/01/16 鼻歌ウォーキング

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先日から見れるようになったNHKの番組で「鼻歌が歌える速さで一日30分歩く」と体に良いということを知った。そこでパートナーと鼻歌ウォーキングを始めた。しかし長身の彼と、私の鼻歌が出るスピードには違いがある。更に彼の一歩に、私はやや遅れる。それが重なるとだいぶ距離を置かれてしまい、私は一人走っては歩き、歩いては走りとしているうちに、汗が出てくる。最初は、「これぢゃあ、鼻歌が歌えないぢゃんよー」と言いながら、いじけているけれど、汗が出て、脂肪が燃えているような気になってくると、ガシガシ歩き始めていた。歩くことに集中して、だいぶハイになっていい気分になって帰ってきたよ。

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2005/01/15 ピナコテッカ

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いつものように乗馬して、テニスして、フェイジョアーダを食べた夕方、パートナーとピナコテッカに地下鉄で行った。ルース(光)という名の駅のすぐそばで、私は一度ポルトガル語の先生に連れて行ってもらっている。常設展は、当然同じだったけれど、今回は1700年代のポルトガルの地理や科学の資料や、ノルデスチ(北東部)の写真展、「もうひとつの街」というタイトルでファベーラ(貧民街)の写真展をやっていた。地理や科学の資料の中には、古い地図や、錯覚を利用した絵なんかもあっておもしろかったよ。ノルデスチの写真展は、その地域特有の白い衣装を身につけた黒人の女性たちが、真っ青な、本当に真っ青な空の下に在る写真が、どれも美しかった。ファベーラの写真は、少女のような10代の子が身ごもっている様子や、電柱から盗電している線が無数にある風景や、ごみからあさってであろう立派な革張りのソファーに腰掛けている男性などの写真だった。でも、映っている笑顔はとても豊かだったよ。pinacoteca3
 建物は、市立劇場などを作ったRamos de Azevedoさん。1905年にサンパウロ最初の芸術美術館として誕生した。最初は州のコレクションだった26個の展示品を飾ったのが始まりで、今では5000近くに上る。日系人の作品もあったよ。3フロアあるし、作品のパワーと全てを見切るのに、だいぶ疲れたよ。1998年にリフォームしてしたようで、100年前の外観をとどめつつ、古さを活かしたモダンなつくりの内装はとても素敵だと思う。後ろに広がる公園も緑の中に彫刻があってよかった。でも美術館にあわせて18時でしまっちゃうのが残念。土曜日だったからなのか、この日は無料でお得でした♪

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2005/01/14 アラスカ

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アラスカのアイスは、有名だ。だって、彼が小さいときからあるし、週末の夜に行ったら、結構席が埋まっていたもん。私たちは近所に住んでいるのに、食べた回数は、片手ほど。だってね、量がものすごーく多いんだもの。彼はサンデーを頼み、私は2つの味を食べたかったので、必然的にダブルになった。運ばれてきたとき、バツゲームかと思ったよ。だって、多すぎる。分かっていたけど、目の前にそびえると「大きすぎ!」と笑うしかなかった。
私のは、カフェとマラクジャ(パッションフルーツ)。さっぱりとしたカフェと果汁たっぷりの甘さ控えめマラクジャだ。彼のは、いちごとバニラアイスに、ホイップ生クリームがどかんと載って、チョコレートがかけてあり、くるくるクッキーもついている。二人で一個が私たちにはちょうどいいと深くふかぁ~く理解したよ。

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2005/01/13 曜日

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月曜日セグンダフェイラ、火曜日テルサフェイラ、水曜日クゥワルタフェイラ、木曜日キンタフェイラ、金曜日セスタフェイラ、土曜日サバド、日曜日ドミンゴとなる。日曜日は、音的に身軽なフラミンゴのようで、イメージがつくけど、他は全然ダメ。キンタ(木)は金曜日ではないし、セグンダは、2番目の意味なのに、月曜日。だって、私の中で月曜日は、一番目という感じがしているんだもの。フェイラも平日にしか付かないし。こういうのは、分かっているけど、無理やり覚えるしかないんだと思う。

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2005/01/12 NHK

ふふふ、うちには12月28日からNHKが入ったよ。オッチモ(最高)!他にも今までBBCやCNNは入っていたのだけど、NHKは別に契約が必要で、当然費用もかかるし、私がTVに釘づけになるのも明らかだったので、あえて契約せず。ところが、BBCなどと同じように、普通にNHKが見れるようになって、きゃぁぁブラボー!さっそく生活スタイルに変化あり。日曜日の朝は、朝食後フェイラ(青空市場)だったのが、これからは朝9時から始まる大河ドラマ「義経」を見てから、フェイラに行くことに。
私の約束ごとは、一人でNHKを見ないこと。ほとんど日本語しか使わない生活なので、せめてTVは、アニメでも良いからブラジルのを見るようにすること。アニメといっても、「鉄腕アトム」「ポケモン」「とっとこハム太郎」など日本のものか、アメリカンな「デビルマン」「パワーパフガールズ」なんかだから、ストーリーも分かりやすい。気休めみたいなものかも。いやぁ、それにしてもテレビっていいなぁ。日本にいるときは仕事してて、テレビを見る時間は学生時代以降ほとんどなかったけど、NHKのニュースと天気予報だけは見てたの。ゆっくりNHKスペシャルとか大河ドラマとか見てると、なーんかとっても贅沢な気分になる。いい気分☆

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2005/01/11 初めての銀行

銀行へ行くのは、日本ではコンビニと入るのと同じだった。いや実際コンビニに銀行もあるし、同じか。
ここでは、よく銀行から出た後をつけられて、強盗にやられる話を聞く。私はカードはなくしたとき、手続きが面倒だし、そんな大きなものを買い物したりしないし、シェキ(小切手)は、数字を書くのがわずらわしいので、現金だけ持ってる。多めに何度かにわけて、パートナーから貰っている。だから銀行とは無縁な生活をしている。
だけど、どうしても必要なことがあって、一年経って初めて銀行へ行った。いつもよりブラジル人化した格好をした。超ミニのデニムのパンツに、ノースリーブ。日焼けが気になるから、普段ノースリーブはほとんど着ないし、少し日が落ちつく夕方に出歩くけれど、今日はそんなことは言っていられない、何より安全第一。
盗られてもいいカバンには、盗られてもいい財布と100レアルの現金。この現金は、何にもなくて、犯人が腹いせに刺すこともあるので、差し出すお金だ。一応ハンカチとティッシュなんかを入れて、普通カバンっぽく装ってみた。部屋の鍵は、お気に入りのスティッチのキーホルダーと妹に貰った幸運守りを取って、ズボンのポッケに入れた。
銀行から出るときは、結っていた髪を下ろして、一応自分的には別人をよそってみた。きっと悪人には、意味がないけれど、気の持ちようだし。回りをよぉく見渡して、ついてきそうな(ただ道が同じだけだけど)人には、目を配る。とにかくいつもより平静を装って、競歩のスピードで歩き、無事おうちについた。ほーっと一安心。超緊張したぁ。パートナーが心配して電話をかけてきた。うん、大丈夫だったよ(^-^)

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2005/01/10 結婚1周年

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パンパカパーン!結婚一周年おめでとう、私たち!!入籍は、パートナーがサンパウロに居たから、私に両家両親がついてきてくれて、10月だった。だけど結婚式は、パートナーに一時帰国してもらって、私の出国前の1月10日にしたんだ。両家両親と私の妹夫婦、そして、大事な友達に結婚をお知らせした。神父も牧師も宮司も仲人も司会者もいない結婚式にしたんだ。司会は私たち、乾杯も私たち。だってね、結婚って、紙にサインして、法的に夫婦になっていても、結局はお互いが共に生活する中で、互いに人生に深くかかわろうと思える相手、かけがえのない相手だと思わないことには始まらないんだもん。それは本人しか分からないこと。だから、無宗教の私には神さまに誓うのでもなく、それはお互いで誓うことが必要で、大事な人たちに報告することが、結婚式の意味だと思ったの。
スピード婚で、周りは心配したかもしれないけれど、私たちは大丈夫。多分パートナーのほうが、大変だったと思う。

だいたい結婚してから、「パートナーさん、大変でしょう?」と私の友達に聞かれることが多い。確かに、我ながら好きなように生きてきて、自分の強い思いも通せてきたのを、家族や友達は見てきたし、結婚しても、私は変わらない。彼に聞くけど、彼は大丈夫って言うし。一年経って、「わたし」と同じくらい「私たち」という主語に慣れてきたよ。ダーリン、これからもよろしくね(^-^) ・・・・・と、書き終えたとき、花束が届いた。
背の高い赤と白のバラに黄色と白い小花のさし色があり、さらに加工された麦までついて、ラメまで振りかけてあるブラジルっぽい大きなアレンジの花束。横浜の父と母から一周年のプレゼントだった。花の趣味は、きっとこちらの人のものだろう。ラメなんぞかける辺りが、ブラジルっぽいなぁと思った。それにしても、花が届くなんて、とっても嬉しい(^-^)とてもいい気分☆画像は今、届いたばかりの花束。

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2005/01/09 車と一緒

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私のパートナーは車がすき。車の雑誌も読むくらい。私は、車に関しては本当におんちで、セダンとかワゴンとかワンボックスとか、なんだかよく分からない。免許は持っているけれど、ペーパーゴールドだし、既にアクセルとブレーキは分からないよ。
仕事をしていたとき、同僚にも車好きな子がいた。車に名前をつけていたし、壁紙も車だったと思う。パートナーは車に名前をつけていないけど、「かわいいでしょ」といった。車に「かわいい」という形容詞がつくことがまったく私の理解を超えていた。道路をびゅんびゅん走る鉄の塊が「かわいい」?どの辺が可愛いんだろう。触っても硬いし、呼んでもこないし・・・うーん。
だけど、パートナーと一緒に居て、車のことをちょっと分かるようになった。おもちゃみたいな可愛い車や、ごっついけど模型のような車、クラシックカーと呼ばれる美しい色艶と年代を経た重みなど、助手席で自分から「あー!」と声をあげて、見つけられるようになった。我ながらよく成長したねぇ。
年末年始の旅行では、きれいな景色と車を一緒に写真に収めた。1500キロ無事に走った車から降りるときは、「よくがんばったねぇ、お疲れさま」と声をかけている自分もいたよ。パートナーと私と同じ景色を、体を張って、この子も見てたんだと思ったら、なんだか可愛く思えてきた。画像は、旅行中見つけたブラジルでは「フスカ」と呼ばれる強くて可愛い車♪

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2005/01/08 またね!

家族や友達が旅行に来てくれたときは、いずれ帰るというのが分かっている。だけど、ここで知り合って友達になった人とは、いつでも会えると思っていた。特にほとんどの日本人駐在員は、治安のいい近所の地区に住んでいるから、歩いて遊びにいけたし、仕事をすることは会社で禁じられているし(ボランティアはもちろん可)、パートナーや家族中心になるから、生活スタイルが同じで会いやすかった。今日帰っちゃったお友達は、私が到着した5日後に、ご自宅で歓迎会を開いてくれた。時差と、日本での疲労と、愛犬の死と、何も出来ない分からない日々の暮らしで、家に閉じこもるしかなかった頃だった。
 彼女はいつも前向きな楽しい話をたくさんしてくれた。コロニア語(名詞がポルトガル語で、助詞や動詞が日本語の混ざった言葉)が出てくる他の同席者の訳をしてくれたり、美味しいご馳走をたくさん作ってくれた。必要な本を貸してくれたり、キムチ教室やパストーネ教室に誘ってくれたり、パートナーを伴ってレストランへ行ったり。彼女は私を「日本にいる妹みたい」といってくれたけれど、本当によく構って、お世話してくれた。
開封済みの乾物や調味料も譲ってくれた。捨てるに忍びない気持ちは分かるし、ほとんど同じブランドを使っているから、むしろ助かるし、ありがたい☆
駐在員は、企業によっては、何人か日本人の駐在がいる。うちの場合は、日本人で家族がいるのはうちしかなくて、だから、会社の奥さんが世話してくれることはなかった。女性の生活の視点というのは、やはり毎日の暮らしを支えている女性から学ぶのが一番いい。特に私は、主婦歴をココで始めたからというのもあるから、その部分を、彼女や他のお友達が補ってくれた。
日本でまた会えると思うけれど、ブラジルの一区切りで、飛行場まで送りに行った。私のサンパウロでの生活も、もうすぐ一年になる。

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2005/01/07 朝

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朝から気持ちよく晴れている日は、なんだかすがすがしい気持ちになる。今日はパートナーが出かける時間が早かったので、合わせて同じ時間に一緒に起きた。朝からきれいに晴れているのは、私たちがサンパウロに居る中では久々だった。本当に気持ちのよい朝で、空と雲と太陽がとても美しかった。
「朝のリレー」という詩を、友達が贈ってくれたことがある。以前から知っていた詩だけど、日本にいる友達が、私を想って贈ってくれたことが、嬉しくて、詩の意味が自分のものになった。

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2005/01/06 カジュ

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カジュという果物は、種が有名です。カシューナッツが種の名前。ね?食べたことがあるでしょう。栄養満点のナッツ。この橙色とオレンジ色が混ざったような部分が果実で上にあり、果実の外さらに、一番下に種ができる。こーんな大きな実から一つのナッツなんだから、カシューナッツが高価なのも理解できる。
今日はこのカジュを飲んでみた。食べようと思ったけど、難しい。洗って、薄皮をはいで、指でさわってみたら、全体が繊維で出来ている感じ。そうしている間に、果汁が滴ってくる。なので、ボールの中で、カジュを握ってみた。そうしたら、じゅわぁぁぁあと、濡れたタオルを絞るようにだっぷり果汁が出てきた。絞り終わったタオルのように、カジュは小さく繊維だけ残ってしまった。それをちょっと食べてみたけど、噛んでるだけで、果実らしきところに触れない。味は、意外と淡白な感じだった。絞った果汁は、ちょっと白みがかかっている。味は、カジュの味(^-^)。実のように淡白でくせがない。だけど、問題は匂いだ。果実も、熟れてくると匂ってくる。そのにおいは、人に言わせると、ゲロと一緒だという。私は、そうとも思えるけど、カジュの匂いとして認識している。だって、鼻からのにおいと、味わいながら鼻に抜ける匂いの両方で、食べ物って感じるし、それに視覚や雰囲気もあるわけだし。しかもカジュは、オレンジより5倍のビタミンを含んでいる。更に傷みが早いので、市場にあっても、スーパーで見かけることはない。市場だと一つ二つで買えないが難点で、だから割高でも少しの量を買えるスーパーでの取り扱いがありがたい。偶然近所のスーパーにあったので、買ってみた。二つで60円くらいだった。オレンジを絞って、カジュと混ぜた。匂いも味も薄らいだ。明日はこれを飲んで出かけよう。

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2005/01/05 サントス・デュモン

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1873年ブラジル生まれのアルベルト・サントス・デュモン。ブラジルとフランスでは、飛行機で最初に飛んだのは、彼だと信じられている。実際そうだったと思う。だけど、申請や登録っていうのは、彼の性格ではなかったようだ。以下、「空飛ぶ男サントスデュモン」草思社より抜粋&要約、りこ付け加えしました。

18歳で、事故で父をなくて、莫大な財産を受け取りパリへ渡った。社交的でパリ一番のダンディといわれたという。私が、デュモンを気に入った理由は、彼がこだわった点。たとえば、飛行船を作って、賞や賞金を授与されても、「授与される金額よりも飛行術に払われる敬意に価値がある」として、賞金はほとんど作業員に分けたり、発明特許は一
切とらず、研究成果は全て公表したこと。デュモンは、空を征服し、世界の距離を縮めること、安全に空のたびを楽しめるようになることが、心からの夢だった人だ。だから、最初に飛ぶ人間が誰かに、こだわりがなかった。
この頃、男性は懐中時計を使用していた。飛行機の操縦をしていたデュモンは、懐中時計を取り出して見ることは、出来なかった。そこで、友達のルイ・カルチェが、彼のために世界で始めての紳士用腕時計を開発して、彼に贈った。これが今でも売ってるカルチェのサントス・ウォッチの原型。ちょっと素敵な話でしょ。
けれど36歳で、多発性硬化症という病気になり療養生活を送り始める。20世紀、飛行機は爆弾を投下する殺人兵器と化したことに、デュモンは責任を感じ、情緒不安定や衰弱の症状が進む。国際連盟に航空戦禁止の懇願書も提出した。
あるとき、ブラジル政府は、デュモンを著述家アカデミーに選ぶことを計画し、療養中のデュモンを招待した。デュモンの乗った船が入港するとサントス・デュモン号と名づけられた飛行機が、歓迎宣言をつけたパラシュートを落とし、歓迎するはずだった。しかし、デュモンの目の前で、飛行機は事故で空中爆発、乗員は全員死亡。彼は遺体の引き上げを手伝うと言い張り、全員の葬儀に出席した。デュモンの病状は悪化した。ブラジル内戦が勃発し、デュモンは、愛する祖国の人々が自分の生み出した技術を使って殺し合いをしていると、自らを責め、苦悩する。話し合いによる平和的解決を懇願したが、事態は変わらず、「私ごときのために、いくつの命が犠牲になったことか。」と遺し、ネクタイで首をつり、1932年に自殺した。国葬がいとなまれ、内戦は二日間停止された。

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2005/01/04 ミナス料理

toropeiro旅行中食べたミナス・ジェライス州の料理は、豆を煮たものが主流。左の写真は、「フェイジョン・トロペイロ」といって、豚のローストと、マンジョッカと呼ばれるお芋の粉をまぜた豆料理。ドライで、黒いインゲン豆にしっかり味が移っていて、おいしかったよ。付け合せも目玉焼きとソーセージがついている以外は、いつも食べてるフェイジョアーダと同じで、そのドライ版という感じがした。tutu
右は、「トゥトゥ・ア・ミネイラ」という。白いインゲンの煮豆のペーストに、ソーセージや卵、ご飯がついた料理。これもおいしかったなぁ。写真を撮るのを忘れたけど、他に有名なのは、「フランゴ・コン・キアーボ」といって、チキンとオクラの煮込んだものシチューのようなもの。これに、ポレンタという、とうもろこしのペーストを固めて、フライしたものを添えて頂く。どれも美味しかったよ。

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2005/01/03 チラデンテス

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今日もいい天気!旅行最終日。まずは昨日入れなかったアシス教会へ。教会内部にあるシャンデリアは、バカラのもので、他と異なるのは、多分配色とデザインだと思うサンパウロへ帰る前に、チラデンテスへ向かって14キロ。ここは、小さいけれど、とってもいい町だった。観光の中心地以外、多くはファベーラ(貧困街)が広がるけれど、ここは小さくて、どれもちゃんとして可愛かった。丘の上のサン・アントニオ教会(黄色い縁の教会)から見える景色も、パウラ教会から見える景色もよかった。
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すぐそばに岩盤がそびえている雄大さの中に、緑いっぱいの小さいコロニアの家々がある。景色が気に入って、小さい絵でOscar Araripeというブラジル人の絵を一枚買ったよ。
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1749年に作られた水汲み場シャファリス・サン・ジョゼは、今でも使われている。裏から、石の水路を伝わって流れてくるのだ。冷たい水を手で触って居る間に、配達途中の郵便局のお兄さんが水を飲んで行くのが、日常っぽくて良かった。skyAzul
チラデンテスを13時半に出て、480キロ走って、サンパウロには19時到着。途中超穴ぼこ道もあって、ひやひやしたけど、地球が丸いのが分かるくらい、どこまでも遠く広い空をみれたし、たくさんの牛や馬をみれたよ。みんなのんびりとしていた。お菓子もたくさんあったし、渋滞にもあわず、事故にもあわず、健康で楽しい1564キロのドライブでした。ダーリン、ありがとう。すっごくいい体験で、とっても楽しかった!

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2005/01/02 コンゴニアスとサン・ジョアン・デル・ヘイ

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朝一番で、1733年に建てられたピラール教会へ行ってきました。なんたって、ここは434キロの金が使われているだもの。見ないわけに行かないでしょ。いやぁ、すごかった。パートナーは、見た瞬間、言葉を失ったほど、すごかった。
オーロ・プレットは金だけではなく、宝石がたくさん取れるところで、宝石屋さんもたくさん。だけど、デザインとか、自分に合うかって言うとまた別。それでも素朴な、ここが産出地のインペリアル・トパーズとアクアマリンのかわいいのを買ってもらったよ(^-^)
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かわいいオーロプレットの街並みを後にして、50キロ離れたコンゴニアスへ向かった。ココで有名なのは、バジリカ・ド・セニョール・ボン・ジーザス・ヂ・マトシニョス教会。長すぎる名前だわ・・・。教会の前方には、12人の石像がいて、有名な3人はProfeta(預言者)DanielとIsaiasとJonasだ。1815年に建てられている。また2004年に修復された6個のチャペルがある。それぞれの中では、人形仕立てで、キリストにまつわる物語を見ることが出来る。最後の晩餐に始まり、キリストがつかまる場面、十字架に打ち付けられる場面や天使が現れて復活するシーンなどである。
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お昼を食べて、次に向かったのは、100キロはなれたサン・ジョアン・デル・ヘイという街。レニエイロ川が中心を流れる街。シンボル的な教会は、このサン・フランシスコ・アシス教会。そびえる帝王椰子は樹齢100年を超えるとか。ここでも、ピラール教会カルモ教会、メルセス教会をみた。いくつかの街の教会をみて、分かったことは、ピラールは金ぴかで、カルモは白が主流ということだ。メルセスには、入り口にMを象った看板がある。
夜は、教会のライトアップを見ながら、エスペット(串焼き)とビール。教会の前でいいのかしら?と思ったけど、仲の良くしていれば、神様も喜んでくれるかなぁと(^-^)食事が終わった頃に、久しぶりに夕立が来て、車を洗ってくれたようだった。

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2005/01/01 Feliz Ano NOVO!

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あけましておめでとうございます!新年には、白い服を着るのがブラジル風。二人で白いシャツで、大晦日も元旦も迎えました。青い空にはよく映える白いシャツです。まずは朝、ピラール教会、そのあと丸みを帯びたサン・ジョゼ教会へ。元旦なので、どっちも閉まっていました。
それからロザリオ教会を通って、街で一番の高台にあるパウラ教会へ。かなりの急勾配の坂道で、かつ町中石畳だから、そりゃー元旦そうそういい運動になっちゃった。パウラ教会の見晴らしはよく、いい風が吹いていました。本当に
いい気持ちだった。そうそう、この街はよく言えば味がある、悪く言えばぼこぼこの石畳。足にフィットするサンダルかスニーカーがお勧めです。
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それから、12キロ離れた隣町のマリアーナへ行った。途中にある、「ミナス・ヂ・パッサージェン」という金鉱跡を見学したよ。世界一と言うだけあって、これがすごかった!315メートルの間トロッコに乗って、深さ120メートル気温18度前後の鉱山内に到着する。トロッコが、だいぶドキドキしたよ。なんかココだと事故があってもおかしくなさそうで。実際に1819年-1985年まで使われていた金鉱で、金は35トン採れたとのこと。金はまだあるけど、経済的に見合わないから今は採ってないそうだ。1トンから4グラムの金が取れるそうだ。1600人の工夫が働いていたそうだ。ここは、イギリス→ドイツ→ブラジルと資本が移った鉱山で、最初に機械化されたところ。ひんやりしていて、気持ちよかったよ。更に湖もあって、水温18度酸性の水。ダイビングのオプションもあって、深さは70メートルもあるとか。
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それから、マリアーナの町へ。広場に立つ二つの教会(左:サン・フランシスコ・ヂ・アシス 右:ノッサ・セニョーラ・ド・カルモ)は宗派の対立で出来たそうだ。この景色がとても印象的だった。ここもオーロ・プレット同様のコロニアル都市。だけど、街も小さいし、観光客も少ない。教会内部の写真やビデオ撮影も許可されていた。カテドラル・バヂリカ・ダ・セという教会のパイプオルガンは、とっても凝っていたけど、倒れてきそうな感じがしたよ。そのあと、オーロ・プレットに戻ってお買い物をしました。

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2004/12/31 「金の道」!オーロ・プレット

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ペトロポリスを朝8時半前に出て、330キロ走って、ミナス・ジェライス州オーロプレットへ。途中、サントス・ドュモンの生まれた町がありました。オーロ・ブランコを経て、展望の丘では、紫の花を見つけ、くねくね山道を通って、13時過ぎにオーロ・プレットに到着。オーロは金、プレットは黒を意味します。ほとんどの場合、金は、白い石に付着しているけれど、ここで取れるのは、黒い石に付着しているから、「オーロ・プレット」というそうです。タイトルに「金の道」と書いたのは、これから巡る街は、シルクロードならぬ、ゴールドロードで、17世紀末のゴールドラッシュで栄えた美しいコロニアル都市ばかりだから。オーロ・プレットは、1711年に出来た街で、ベロ・オリゾンチ(ミナス州現州都)の前の、州都だ。ここは街並みが、ユネスコ世界遺産になっている。なんたって、かわいい。そして、ゴールドラッシュがいかにすごかったかを物語る教会の豪華さ。これは、サン・フランシスコ・ヂ・アシス教会。入り口のドア上の飾りは、この土地出身のアレイジャジーニョの作品で、彼はブラジルのミケランジェロと呼ばれた彫刻家だそうだ。かなりくどい。
お土産に見つけたのは、窓辺のお人形。等身大だから、最初は驚いちゃったよ。それから、メルセス教会へ行って、カルモ教会へも行った。ここは風が通って、見晴らしも良く、私たちは気に入ったけど、教会の中のどの像も、青白くて一番怖かったよ~。鉱物学博物館やインコンフィデンシア(反乱者)の博物館は、年末年始で休館だった。
そのあと、「カーザ・ドス・コントス」へ。ここでは、昔の貨幣や、鋳物道具が展示してあった。ここからの道の景色が良かったよ☆1231contosView1231oomisoka
大晦日、ミナス料理を食べて、町の中心のチラデンテス広場へ。中心の塔に登って、時計台が12に重なるのを二人で見たよ。除夜の鐘が鳴るわけじゃないけど、周りが騒ぎ出して、シャンパンを開けたり、叫び始めるのを聞いて、新年を迎えた。ブラジルでは、消防車はヒーローだ。だから、年明けのサイレンを鳴らしながら、消防車が走っていった。

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2004/12/30 ペトロポリス

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朝からいい天気!ポーザーダの坂道の途中に、へんな植物があったよ。ほら!黄色い花は別のなんだけど、紫色の巨大な花びらがあるの。後ろには、黄緑の薄い袋があって、どうやら、これが広がって色がついていくらしい。不思議だ。
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今日は、インペリアル博物館にいってきました。もともとは、王様の夏の宮殿だったところで、今は博物館として公開されています。晩餐の間、謁見の間、演奏の間のほか、王家グッズも盛りだくさん。肖像画、王冠、杖、衣装や、ゆりかごまでありました。このピンク色の外壁。昨日観たイザベル皇女の家もそうだったし、もしかして、ロイヤルカラーなのかも?かわいい!博物館の敷地内の公園もとても素敵でした。道路が近いのに、公園のおかげで別の空間が出来ていて、静かだし、紫陽花がきれいだったよ。1230ajisaiそのあと、イザベル皇女が作ったクリスタルの宮殿へ。ときおり、噴水が吹き上げ、そこにハチドリがやってきました。今では、コンサート会場として使われているそうです。1230cristal

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2004/12/29 コーヒーの谷から

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年末年始の旅行に出かけた。車に乗って、5泊6日の史跡を巡る旅行。朝6時に出発して、ひたすらDutra街道を走る。前日2時ごろに眠ったため、車内で爆睡した。途中に渋滞なく、休憩と小腹を満たしたくて、ヴァソーレス(Vassouras)という街に寄った。「カフェの谷」=多分コーヒーで栄えた街の一つで、小高い丘に教会があり、手入れされた公園には大きな噴水があった。教会から見渡す景色は、こじんまりしていて、オレンジ色の瓦屋根がかわいかった。それから、製鉄所があったり、放牧された牛や馬を見ながら、車はひた走り、目的地のリオ州ペトロポリスに到着したのは、14時半。サンパウロから515キロ走っていた。
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ペトロポリスは、ブラジルが帝政だった頃、夏の宮殿が置かれたところだ。泊まったポーザーダ(=ペンション)は、カテドラルの裏手の山にあり、町を見渡せる景色のいいところだった。オーナーは、ドイツ移民2世で、英語が流暢でとてもいいおじいさんだった。お母さんは、最初日系コロニアの中で、唯一ドイツ移民として、少女時代の5年を過ごした人という。ユニークだと思った。このペトロポリスは、ドイツ移民が入った街と教えてくれた。
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まずは名物の馬車にのって、市内の名所を廻ってもらった。乗馬と違って、馬車もいい。石畳を、カポコポカポポコと小走りする音が、景色と合っている。30分の馬車を終えて、二人で街中を歩いた。まずは、カテドラルへ。アルカンタラ・サンペドロ教会というらしい。ここには、ドン・ペドロ2世と奥さんのドナ・テレサ・クリスチーナ、そして娘のイザベル皇女が眠っている。
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それから、イザベル皇女のピンクのおうちを外から見て(画像右→)、サントス・ドュモンの家に行った。1229santosすごい急な斜面に立っている。階段もとっても不思議だった。サントス・ドュモンは、ブラジル人で、世界で初めて飛行機で飛んだ人だ。日本に居ると、ライト兄弟って習うけど、ブラジルとフランスでは、サントス・ドュモンって習うらしい。今度彼の話をするね。カルチェの時計にもサントス・ドュモンってあるでしょ?それともちゃんと関係あるんだよ~。

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