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2005/02/25 ファシネーラ

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私が一番接する機会の多い非日系のブラジル人は、ファシネーラ(掃除婦)だ。彼女は、ニーナさんというのだけれど、とてもかわいい。しかもかなりきちんと掃除をしてくれる。他のファシネーラは言わないと、拭き掃除やベランダの掃除、トイレットペーパーの補充などを怠るのだけれど、彼女はきっちりいつもやってくれる。たまに食器を割ってしまって、メモに「弁償します」とあるけれど、私自身がよく割るので、それについて責めたことはない。第一高い食器は持ってきてないし、割られても買い足せるものだしね。
ファシネーラやメイドには要注意だと、最初に聞いている。話はどこからどんな風に伝わるか分からない。だから、旅行先も期間も話してもならないし、金品を目の付くところにおくこともしない。彼女がその気が無くても、ふとしゃべったことを誰かが耳にして、悪巧みをする人もいるからとのこと。実際「機会が泥棒を生む」ということわざがブラジルにあるそうだ。来た当初は、そういう事前防止策を張ることすら、私は慣れずにいたけれど。0225_7
ただ、私自身ポルトガル語が不自由なので、彼女に話しかけることができなかった。「授業に出かけるから、鍵かけてね」とか「明日友達が来るから、きれいにしてね」とかを単語で発する程度だから、深い話にはなりえない。
でも、今日は彼女がアルバムを持ってきてくれた♪週末結婚式だったそうだ。私は結婚指輪をしていたから、すっかり既に結婚済みだと思っていた。詳細はパートナーに聞いてもらうとして、私はとっても嬉しくなった。登記から教会での式、ケーキ、ブーケトスの写真もあった☆うれしいなぁ。近々辞書を使って、お祝いのカードを書こう。とっても嬉しい。彼女が見せてくれた気持ちが、私はとても嬉しくてしかたないよ♪

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2005/02/24 ランチョンマット

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私は、他の駐在家族と同様に家具・食器・家電つきのお家に住んでいるので、生活に必要なもの買うことは少ない。だけど、ちょこちょこと必要なものはあって、ミキサー、ゴムベラ、ボール、大き目のフライパンは買った。一年経って、「本当に必要なもの」に加えて、「あったらいいな」って言うものに目が移るようになってきた。新婚生活をこちらで始めたので、日本に帰ったら、私たちには、何にも無い。あ、お箸はあるか。でも、かといって、荷物が増えるのは好きじゃないし、日本のほうが良いんじゃないか?とか、値段的にもどうなのか分からなかった。だから、「あったらいいな」のものには手を出さなかった。
最近買ったのは、ランチョンマット♪黄色の花柄と水色のマリン柄が、織り込んであるコットンのランチョンマットとお揃いのお口拭きナプキンだ。朝食がまた嬉しくなる。


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2005/02/23 アラブ料理

0221ブラジルに来てすぐアラブ料理を食べに行った。サンパウロは、アラブ料理が多いと思う。最初に行ったのは、プチ青山みたいなエリアにあるアラビア料理レストラン。内装はとても洒落ていて、すごく素敵だったけど、私は、なんだか妙に緊張していて、味わった記憶は薄い。
うちの近所にある気になっていたカフェがあった。アラブっぽかったけど、入っていなくて分からずじまい。あるとき、お友達とランチに入ることにした。彼女はキプロスに駐在したこともあり、アラブ料理に詳しかったので、楽しかった♪これは何が材料で、こんなスパイスが入っていて、こうやって調理されてくるという。彼女にお任せで、シェアしたメニューはどれも美味しかったよ~☆生の牛肉にキビを混ぜたやつは、ドナ(女主人)が「こうやって食べるのよ」と実演。オリーブオイルをかけて、ナンみたいなパンにその生肉と玉ねぎとミントの葉を挟んで食べる。かなりおいしい☆更に葡萄の葉でつつんだもち米や、肉と小麦を炊き込んだご飯みたいなやつとか、どれも超おいしくてハマッタ!
そうそうアラブ系の女性は、きちんと食事を作るそう。だからか、スーパーには、生の青々とした葡萄の葉を見かける。そうだったのか!こんな近所にあって知らなかったとは…さぁ次はダーリンと食べにこようっと♪

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2005/02/22 アイルトン・セナ墓地

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アイルトン・セナのお墓に行った。ブラジルのお墓は、地面にプレートが付いているだけ。だから、こうやって写真を撮るとただの芝生の広場にしか見えないでしょ?セナのお墓に行くには、たくさんの人のお墓を踏んで行かなくては行けないのが、私も誰しも心苦しかった。
ブラジルは、天に召されるとまず土葬され、5年後くらいに掘り返され、火葬されると聞いたことがある。だから、お墓には何人か入れることになっている。お墓を掘り返す人は、ポルトガルから出稼ぎに来ているような人が多いとも聞いたよ。
セナのお墓は、住宅街モルンビーという地区にある。週末になるとセナグッズを扱う露店が出て、命日にはたくさんの人が訪れ、日本からもツアーを組んでくる人たちがあるという。彼のお墓は、木の下に、他の人と同じように、他の人と同じプレートの大きさで、並んでいた。「Ayrton Senna da Silva 1960-1994」他と違うのは、一応ロープで囲ってあること。でもそれは注意!という意味よりも、一目でセナのお墓を分かるようにしただけのものだと思った。P1010056
私はファンではないのだけれど、音速の貴公子と呼ばれたF1ドライバーで、聖書が愛読書で、とてもたくさんの人に愛されていたことは、今回知ったよ。そして、彼はパウリスタ(ブラジル、サンパウロ出身)だった。静かな鳥のさえずりが聞こえ、トンボが飛んでいる場所に、彼は眠っていました。

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2005/02/21 サンパウロ日本人学校

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今日は「ブラジルを知る会」の見学会で、サンパウロ日本人学校を訪問した。ココは、日本と同じ教育が受けられる在外施設で、卒業生は日本の小・中学校卒業者と同じ資格を持つことができる1967年創設の学校だ。ちなみに私のパートナーはここの卒業生。日本人子弟が一番多く1000人規模だった頃に通学していた。日本人学校では世界一という敷地面積には驚いた。本当に広かった!私はここの土地には懐かしさは無いはずだけれど、理科室のフラスコや石製の流し、木製の四角い椅子が懐かしかった。黒板や体育館もなんだか、妙に懐かしくなった。それは他の人も同じで、世代を超えてはしゃいでしまった。いわゆる駐在員が住む地区からは、ほぼ1時間かかるカンポリンポ地区は、今は周囲をファベーラ(貧民街)に囲まれていて、警備が大変そうだった。安全上の理由から、写真も内容もBlogには、これくらいしか載せられない。すごく残念だけど、どこでどう悪用されるかわかんないから、やめておくね。kousyawaki
帰り際、友達と図工室で写真を撮った。彼女のご主人も日本人学校出身で、夫同士が同窓生。そして、今サンパウロに駐在しているのだ。平日なのでお互いパートナーは来れなかったけど、その分しっかり見たし家族向けの写真とビデオも撮った。なんだかとても嬉しい気持ち。これが彼が話してくれていた学校なんだと思ったら、心が躍った。木々はきっと小さいときの彼を知っているに違いない。静かでとても気持ちのよいところだったよ。cafetree
お土産に日本人学校敷地内にあるコーヒー園で取れたコーヒーを頂いた。なんと煎りたて!袋からあったかい温度が伝わるくらい煎りたてなのだ!ぷんぷん香ばしい芳しいいい匂いがする。部屋に帰ってきても、まだぷんぷん。はぁぁいい匂い♪アロマテラピーのようだ(^-^)

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2005/02/20 友達の友達

「友達の友達は友達だから、皆友達」なんて、昔よく耳にした気がする。実際、私はそう思っているところがある。今日会ったのは、NYにいる友達の同僚。年齢は私と同じ彼は、NYに一年勤務し、休暇でブラジルを回り、アルゼンチンにも行って、今晩NYに戻り、すぐに日本に帰国するとのことだった。
旅行業を仕事にしているお友達を紹介して、あとは回ってもらったが、最終日の今日、一緒にサンパウロ巡りをした。セのカテドラルに行って、リベルダーヂにいって、移民史料館をみて、日本食材店に付き合ってもらった。パウリスタ大通りに戻ってきて、ショッピングセンターでショッピを片手に、おしゃべりした。
初対面だけど、いろんな話をした。駐在、結婚、仕事観、家族像、勉強、男女の差、旅行の話など。いろんな偶然が重なって、人が知り合う。こんなに世界にたくさん人がいる中で、人と出会い、話をして、お互いのことをちょっと知り、また世界が広がり、人がつながり合う。それはとても素敵なことだと私は思っている。

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2005/02/19 24時が2回来る

0221_5今日は夏時間が終わる日だ。日本との時差は12時間に戻る。この方が分かりやすくていい。それにしても、22時ごろテレビを見ていたら、テレビで、夏時間が終わることを告知していた。携帯電話は、朝にはちゃんと直った時刻を表示していた。明日起きるのは、8時だ。それは今までの9時だった時間だ。得したのか、損したのか、いや、でも夏時間が始まったときもあるから、意味ないかとか、そんなことを考えつつ、家の中の時計と腕時計を直した。
ちなみにこの私の腕時計は、母親に高校生のときに買ってもらったもの。10年以上の愛用している。ダブルフェイスなので、上は日本、下は旅行した場所の時刻のままにしていた。当時の高校生の私には高価な時計だった。それにしても、いいものは長く使えるし、いつまでも飽きないのがいいと思う。今まで長らく日本時刻を刻んでいたけど、今はサンパウロが上のフェイスに来ている。間逆のサンパウロでよかったのかも。だって、ちょうど12時間時差だから☆

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2005/02/18 声を届ける

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私は高校生のときから環境問題に興味があった。興味を植えつけられたのは、ある雑誌で、原剛さんという方からじきじきにお話を聞く機会を得て、座談会に参加したのがきっかけだった。明日の中間試験より、空に穴が開くほうが怖かった。おりしも高校生のとき、地球サミットがあって、環境を考える高校生と大学生のサークルに入ったよ。大学生になって、アメリカに世銀やIMFへの抗議デモをしに、WashingtonDCへ行ったり、同世代の仲間の国際会議にバスで移動して駆けつけたり、地元のテレビ局にもいったなぁ。あの時は、腕に捕まったときの弁護士の名前を油性ペンで書いて、ホームレスシェルターに寝泊りしてた。そのときの世界の友達との激しい強い情熱が、私を環境問題にとどめているのかなぁ。金融機関に新卒で入った後、やっぱりやりたかった環境に関する仕事についた。とってもやりがいのあった仕事をさせてもらえて、私は幸せだったと思う。
ブラジルに来てからも、気がつくと仕事を離れても、今は、生活者の立場で、エコを見つけている自分がいる。そして今回は縁あって「TOKYO FM GREEN WIND」という番組にでることになった。日本時間の早朝5:45からたった5分。それまでに電話で打ち合わせしてるから、経費のほうが高くつくだろうにと思ってしまったけれど、京都議定書発効のブラジル政府の動きと、サンパウロにすんでいる主婦の生活から見たエコを届けたよ。eco2
といっても、ブラジルがアルミ缶リサイクル率89%で世界一位ってことくらいだったんだけどね。日ごろ、夕方になるとごみを漁っている人やリアカーでごみをどこかへ持っていく人を目にする。かれらが、所得格差世界第2位のブラジルの低所得層の人たち。一番エネルギー消費量の少ないであろう人が、資源を回収して、世界一にしているんだから、わたしはなんて皮肉なのかと思うわ。第2位は日本だけど、行政や消費者の意識が違うからね。ココまで話が至らず、残念だったけど、「へぇ!世界一」と驚かせるくらいで良かったんだろうな。

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2005/02/17 サンバ

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サンバは1917年にPeloTelephoneという録音された記録があり、これが最初だという。1888年に解放された奴隷や、リオの郊外に工業地帯が造成された後、北東のサルバドル市から流入した黒人労働者が、輪になっての踊りや、カーニバルの行列の風習を持ちこみ、それがサンバという音楽に発展したらしい。ブラジルは、アフリカの文化の影響が強い。それは黒人奴隷たちの音楽や踊りを禁じなかったことに由来していると思う。
「ブラジル音楽=ボサノバ♪」という日本人の友達は多い。だけど、サンパウロでボサノバを聞くことは本当に少ないんだよ。ボサノバは、1958年ごろ生まれたサンバの新しい形。サンバとは対照的で知的で落ち着いた感じがあると言われる。知的かどうかはわかんないけど、実際サンバの賑やかさは無くて、ゆったりムーディだもんねぇ。

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2005/02/16 机上のカーニバル

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カーニバルはブラジルを表す顔のひとつだとおもう。だって、こんなに国が盛り上がってしまうから。今日は、「知られざるカーニバルの世界」という講演会を聞きにいった。講演者は、ブラジル駐在も長く、今は日伯文化交流プロジェクトを推進中で、リオの最古のサンバチーム「マンゲイラ」の大使として活躍のおじさんだ。
サンバ誕生の歴史から、カーニバルのルールの採点方法、会場の仕組みや、カーニバルがどんな風に出来上がっていくかとか、サンバチーム「マンゲイラ」の社会活動などを聞いたよ。私には、カーニバルの審査員が40人で、10の審査項目があり、10点満点で0.1刻み、カーニバルの展開を、まずは絵に落として決めることなどは、初めて知ることだった。ブラジルのカーニバルは、「移動オペラ」とも言われるらしい。毎年テーマは変わり、色も曲も衣装も構成も全てが変わる。一チームの持ち時間は80分で、590メートルをパレードする。ちなみにリオのカーニバルは、スペシャルチームが14あり、下部グループは、68もある。これは公認のカーニバル学校の数だから、非公認を入れれば、無数にあるといわれている。また、4歳から17歳のミリンとよばれる子供たちのカーニバルもあり、これはさながら運動会のように、桟敷には親類一同が詰め掛けるらしい。奥深きカーニバルの世界!

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2005/02/15 いろんな偶然

サンパウロは、日本人が住みやすい「5S」の都市の一つと最近きいた。他は、サンフランシスコ、シアトル、シドニー、シンガポールらしい。サンパウロは南米の拠点になるから、大概の日本の企業がある。
私の中学時代に通っていた塾で仲良くなった友達が、去年結婚した。そしてご主人が、今サンパウロ駐在になった。先にご主人がきて、あと少ししたら奥さんである私の友達が呼び寄せ家族の形でやってくる。だから、ご主人と私たちで夕食をした。といっても、家で塩鮭を焼いて、白いご飯と味噌汁の夕食だ。会社も関係ないし、ご主人と私は、地元が同じだったし、妹と出身高校が同じ。なによりサンパウロで新婚生活スタートだから、これもすごい偶然だ。
旅行の話や、生活のちょっとしたポイントを話して、一緒にNHKをみて過ごしたよ。私がしてもらったように、私もしてあげる誰かがいるのは楽しい。

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2005/02/14 旅行のあと

0214旅行のあとは、洗濯ものがたくさん出る。干しがいがあるほど、シャツや下着が出る。フイルムで撮った写真も出して、出来上がりまで、また楽しみが増える。
私とパートナーはスピード結婚だったけれど、旅行が好きという趣味や茶碗蒸しが好物というのが同じだったことは幸いで、これらは結婚してから分かったことだった。0214_1
これは私の旅行鞄。独身時代、自分に買ったごほうびだ。ブランドのカバンに興味が無いのに、それ以上の金額のこの旅行鞄には心のそこから惚れてしまった。紙製で、すこぶる軽くて、シンプルだ。仕切りもないし、留める紐だけだもの。それにしても中がかわいいでしょ♪でもあまりに高い金額だったので、両親にも見てもらったほどだった。売り場に先に着いていた両親は、私が言う前からどの鞄に惚れてしまったか分かっていた。私の宝物だった。
今は、私たち二人の思い出を一緒に詰め込む旅行鞄で、私たちの宝ものになっている。旅行のあと、私はこれをきれいにからぶきする。だってこれからもたくさんいろんな思い出を詰め込むから、大事に使うんだ。これからも、いろんなところに行こうね、ダーリン♪

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2005/02/13 帰ってくる感覚

私は日本に一時帰国したとき、ブラジルに戻ってくることを、「帰る」とは言わない。パートナーが「あったかいサンパウロに早く帰りたいよ」というのさえ、「戻る、でしょ?」と遮ったことがある。だけど、一年住んでいたら、「帰る」という言葉が感覚的に出てきた。ブエノスアイレスから戻ってきたとき、サンパウロの空港について、「あぁ帰ってきた」と感じた。
からっぽの冷蔵庫をみて、終わりかけのフェイラにいって、なじみのお店のみなさんと挨拶をする。今はここの地域が私のすみかだ。お夕飯は、この間作って、冷凍した味噌漬けの魚を焼いた。葱とわかめのお味噌汁も胃にしみわたる。旅行中の食事は、上げ膳据え膳だし、美味しいものばかりたべたけど、家に帰ってきてお味噌汁を飲むと、体が「ただいま」とやっと言う。

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2005/02/12 タンゴ!

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のんびり起きて、街中をお散歩。木に咲くピンクのお花がきれいだったよ。建物もきれいだし、植物も多くて、パリみたいだと思った。革製品のお店だらけの街中で、私はベルトと鞄を、パートナーは皮のジャケットを探していた。あまりにお店がありすぎて、本当に大変。困ってしまった。更にアルゼンチンはポロが盛んのようで、いたるところにポロや乗馬のお店があったのもいけない。私たちは興味津々でどのお店にも足を運んだ。だいぶ疲れてしまって、結局最初に見たお店で買ったよ。鞄はいいのに出会えなかったけど、ベルトとジャケットはいいのに出会えたよ。へへへ。
アルゼンチンといえば、タンゴ!夜はちょっとおしゃれして、タンゴショーを観にいってきた。シャンパンを飲んで、隣に座ったブラジル人がご近所の住んでいるとわかり、楽しく話が弾んだ(パートナーが)夕食の後、10時近くから始まったよ。フロリダ通りにあるロココ調のPiazzollaという劇場だった。私はタンゴを見るのは初めてで、パートナーは「競技のよう」だという。0212
生演奏に、歌とダンスが交互にある。私は本当にまん前の中央で、息づかいが聞こえるほど近かった。タンゴって本当にすごい。あれは、なんなんだろう。一曲だけ楽しそうな表情のがあったけど、あとはどれも悲しく苦悩している顔でみんな踊っていた。波止場で別れを惜しむ男女の表情って感じ。だけど、踊りは、静かに悲しむのではなく、激情みなぎるかんじ。すごかった。隣国ブラジルのサンバは、開放で明るい。国民性がでてるかも、ってちょっと思ったよ。

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2005/02/11 スプーンで切るお肉

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世界の果ての郵便局で、家族に絵葉書を送った後、元は刑務所だった今は博物館となっているところへ行ってきた。私の腰痛は落ち着いていた。1896年からの刑務所は、昔の形のままで、等身大の囚人や監督の模型があるのにはびっくりした。写真もたくさんあって、興味深かったよ。ここは半分船舶博物館にもなっていたんだけど、この辺りではたくさんの船が沈没したんだね。そこまでして、人は発見したかったんだなぁ。
飛行場へ行く前に、ホットチョコレートとアップルパイを食べた。日差しが出ていればあったかいけど、風が吹けば寒いし、ホットチョコレートは甘くて美味しくて、にこにこしちゃうよ。
ウシュアイアからブエノスアイレスに戻ってきた。あったかい。腰に巻いたフリースを暑くかんじるようになっていた。夕食をしに、お友達がすすめてくれたレストランへ。だいぶ遠かったが、翌日のお買い物の下見がてら、歩いていった。
ブエノスアイレスは、安全だ。もちろん、こちらが気を許せば、観光客目当ての悪い人はいるとは思う。だけど、サンパウロに生活していたら、いやおうなしに、気を張る癖がついている。夜でも歩けてしまう街に、私は治安のよさを感じる。
夕食は、サラダとお肉とワイン。サラダが、妙に美味しかった。たくさんのお野菜が入っていたのがよかったよ。お肉はお友達が話してくれた通りスプーンで切れるほど柔らかい。隣に座った英語圏のお兄ちゃんたちは、多分Tボーンステーキを注文していたが、思わず私まで笑ってしまうほど、大きくて分厚かったんだよ。

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2005/02/10 馬で感じるパタゴニア

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ここではなんでも「世界の果て」が枕詞のようにくっついてくる。今日は「世界の果ての乗馬クラブ」で、乗馬をしてきた。2時間コースの予定だったけれど、一緒にいたカナダ人やイギリス人は4時間というし、実際未体験の山道コース
だったので、途中で4時間コースに変更した。泥のぬかるみや、森の中、アップダウンの激しい山道を通り、向かい側はチリという海にも出た。途中サンドイッチとコーヒーの休憩をして、川を通ったりして戻ってきた。5時間くらい馬に乗っていたことになる。0210_3
普段、パセイオでも練習中でも馬が草を食むことを許さない。だから、手綱をちゃんと引いて、こちらがコントロールしていることを意識させる。だけど、長い時間だし、ガイドも何も言わないし、馬は草をむしゃむしゃ食べていた。総じてどの手綱も元々短くなっていて、ふとしたときに馬が草を食もうとしたとき、手元の手綱に引きづられて、私の腰が軽くスライドしたのを感じた。私の腰痛が出てしまった。それでも最後まで乗り切った。かわった植物もたくさん見れたし、すごく楽しかったけど、私の腰がちょっと悪かった。ホテルに戻って、常備している薬を飲んで、やっとのことで横になった。お腹がすいたのを感じて、ソロソロ歩きで街中へ。まずはきっと世界の果てであろう薬局にいき、ソフトコルセットを買った。
パートナーと一緒になってからひどい腰痛が出たのは初めてだ。パートナーは靴下も履かせてくれたし、段差も指示してくれた。退院したての時のようなソロソロ歩きだ。それでもお腹がすいたと感じるのは、元気になる証。港の見えるレストランで、私たちはにんにくで味付けした茹でカニと、ムール貝、それに魚介クリームスープをお腹いっぱい食べた。ワインもおいしかった。0210_10210_4
腰痛で座るのも大変な私に、隣の老夫婦が声をかけてきた。ご主人も私と同じ腰痛らしい。オーストラリアのパースにいて、50カ国以上旅行したといっていた。パタゴニアというと、ワイルドな感じがしたけど、お年を召した方々ばかりに出会う。誰にでも楽しめるような整備された快適な観光地なのだとわかった。窓から見える空は、夕焼けのピンクと青、そのうちベージュとグレーになって、きれいだったぁ。痛いのは私だけど、一緒に居るパートナーの気持ちは、同じよう痛くて楽しめるはずがない。だから、明日は元気になっているはずと信じたよ。

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2005/02/09 のびのび

0209_1午前中、バスでティエラ・デル・フエゴ国立公園へいった。マゼランが、強風の不毛の大地に燃える炎(実は先住民のたいまつの火)を不思議に思ってつけた名前で、日本語だと「火の大地」国立公園となる。公園の一部を、「世界の果て号」という世界最南端の観光列車に乗って移動する。世界の果て駅では、美しい花が咲いていて、生演奏もあり、いい気分だ♪車内は英語とスペイン語のアナウンスが流れ、小川や、苔で何メートルの高さにもなった大地や、ウシュアイアに送られた囚人が伐採した森林の跡などが見える。それからバスにのりかえて、途中ミニトレッキングをしながら、ビーバーの巣や、絵に描いたように美しい静かなロカ湖を巡るった。ロカ湖のそばには、カフェテリアがあって、ホットチョコレートがおいしかった♪0209_20209_3
お昼を簡単に済ませて、そのあと15時出発の船に乗った。ビーグル水道にいくよ。ビーグル水道は、進化論のダーウィンが乗っていた船ビーグルを取って付けられた水道。ここには、小さな島がたくさんあって、オットセイみたいな
オタリアやペンギンの自然のままの姿と対面できる。大量のオタリアは、あんまりかわいくない。彼らの態度もでかいが、図体がでかい。だからドテラっとしていて、顔も怖いし、泣き声も苦しそうで、仲間内で喧嘩している感じだ。それでも、水の中では、巨体をイルカのように素早く美しく波のように潜らせていた。広い海にして、その巨体は小さく見えたよ。そこから更に進むと、赤と白に塗られた太陽エネルギーで発電している灯台がみえた。絵になる灯台だった。0209_4
そのあとはだいぶ何も無くて、やっとこさお待ちかねのペンギン生息地に到着したのは、18時ちかく。ペンギンは、おびただしい数で島にいた。島に生えた植物のように、なんとなく等間隔で並んでいる。ちょうど生え変わりの時期で、毛がボサボサなのも妙にかわいい。かわいいくせに、水の中を飛んでいた。腹うちしながら、海面に出たりして、水の中を自由に気持ちよさそうに飛んでいたよ。かわいい。なんてかわいいんだろう。0209
ペンギンを見るためには、6時間船の移動がある。乗り物に弱い私だから、どうしようかとおののいていたが、何の問題もなかったよ。船内には軽食もあるし、ウエイトレスもいたし、あまりに乗り心地が良いので、私は絵葉書を書いていたほど。帰りは、9時。それでもまだまだ明るかった。動物たちはのびのびしていたし、何よりわたしはいい空気を吸って、自然の姿を見て、こころがのびのびしたよ。

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2005/02/08 鳥の楽園

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町の北側に、ニメス湖という湖みたいな潟がある。バードウォッチングするためのボックスがあったりする公園で、遊歩道は2キロほど。鳥は、私たちを怖がらない。飛び立つシーンをビデオに収めたくても、てこてこ歩くだけの鷲や、足音はしてるのに「あ、こんなに近くに人がいる!」と気付いたように水に入る鳥の家族、同じ間隔を保って飛行するかっこいいカップルもいた。それにしても、ここはとっても静かで、とっても穏やかな場所。0208_4
野アザミやマーガレットのような花がたくさん咲いていたよ。地面には、無数の鳥の糞。鳥の楽園の証拠だと思った。空は広く大きく雲の形は芸術的だった。遠くにフラミンゴの群れがあって、何羽かが飛んでこっち側に来たときの様子を、パートナーがビデオと写真に撮ってくれた。二羽仲良くワルツをしているよう優雅で、鮮やかなピンクの羽を羽ばたかせながら、湖面に舞い降りた。フラミンゴのピンクは、なんてかわいいんだろう。自然の色にはかなわない。なんてかわいいフラミンゴカラー!0208_3
町の名前と一緒の低木カラファテ。これは棘がある。この実を食べると、またパタゴニアに戻ってくるという言い伝えがあると聞いて、二人で食べちゃった♪味は、グミみたいに種があってすっぱいベリー系だった。

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2005/02/07 青い氷河

0207_5ロス・グレイシアス(氷河)国立公園にやってきた!この公園内には、47も氷河があるという。私たちが見たのは、このペリト・モレノ氷河。アルゼンチンの科学者の名前が付いている。全長35キロの長大な氷河で、先端が湖にあるので、落ち崩れるところも見れる。船に乗って、氷河の近くまで行く。船が湖上に止まっている間は、日差しが強いこともあり、快適で、目の前に氷の塊があることを忘れてしまう。だって、絵の様に美しいから。でも、風が出れば、キーンと体の芯から冷えて、どこいるか
思い出させてくれる。船の後は、板張りの遊歩道を下りて、何箇所かの展望台を渡り歩く。0207_2場所によって、全体がみえたり、近さを感じたりする。その一箇所で、氷河を前にサンドイッチをほおばった。すごい贅沢だ。リコ水道っていうのもあって、なんでだかいい気分♪時折、氷河が崩れる。その音がまたなんというんだろう、深い不思議な音なのだ。氷河は青かった。本によると、雪の結晶が溶けたものに圧力がかかって出来た氷河の氷は、気泡が少なく、透明度が高い。そのため青い光だけを反射して、他の色を吸収してしまうことが理由らしい。とにかく、BaskinRobins31のアイスクリーム「アイスミント」のように青いのだ。冷たそうな感じといい、まさにそうだ。02078
夕方帰ってきてから、乗馬をした。私たち二人とガウーショ(カウボーイ)のお兄さんがガイドで1.5時間くらい、湖を見渡す草原をのんびり歩いたり、パカパカ走ったりした。ティグレという子。強風でコンタクトの目が厳しかったけれど、焼きついた景色は、しっかりと今も見える。

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2005/02/06 南米のパリ

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朝起きてお散歩する。大統領府や教会をみた。さすがブエノスアイレスは「南米のパリ」と呼ばれるだけあって、街中は美しい。午後すぐに移動だったんだけど、国内飛行場へ向かう途中、ラプラタ川に始めて出会った。海かと思うくらい大きかった。むこう川はウルグアイだ。
ブエノスアイレスから、3時間半。国内を南下していく景色は、不思議だった。だって、何にも無いんだもの。夏なのに、草もないようなところが多く、不毛って感じを受けた。私たちは、氷河を観に、カラファテという街へやってきた。0206_3飛行場について、最初にびっくりしたのは、すぐそばにある湖が青いこと。アルゼンチーノ湖という南米第3位の大きさの湖で、深さは250Mくらいだとか。年間降雨量は200㎜という乾燥したちょっと埃っぽいここカラファテは、小さい。だけど、メインストリートの両側にレストランやお店が並び、英語も通じて十分楽しい。ラベンダーが咲いていた。空気がひんやりとして、冬が近い日本の秋のようなそんな空気が、なつかしいなと思わせた。
この日の夕食は、お肉。血の入った黒いソーセージや、厚みが私の人差し指の第二関節まであるほどのお肉を食べた。分厚いけど、でも柔らかくて、おいしかったなぁ。0206_5

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2005/02/05 カーニバル休暇

0205カーニバルが始まった!私の感覚では日本のゴールデンウィークみたいなお休みという感じがする。ラジオからはサンバが流れ、テレビでは、カーニバル会場の様子や各地区のサンバチームの踊り子の紹介、街の洋服お直し屋さんでは、カーニバルの衣装が、ミシンでダダダダと縫われていた。いつも明るいブラジルが、もっともっと、ギラギラと煌びやかに輝くときだ。
私たちは、去年のこの休暇を新婚旅行に充てて、大西洋の孤島に行ってきた。今年はじゃーん!隣国アルゼンチンは、ブエノスアイレスとパタゴニアに行く♪ちなみにパタゴニアとは、チリとアルゼンチン両国の、南緯40度以南の地方のことをさすらしい。いつもどおり、乗馬とテニスの習い事を済まして、パッキングをして、いざ!
サンパウロから3時間ちょっと。時差は1時間。飛行機は夏の夜に飛んでいた。だから、太陽が他の国に向かって行く時で、空はこんなに綺麗だったよ。ホテルに到着して、小腹が減ったので近くを歩いてみた。22時なのに、街には人がたくさんいる。治安のよさを、空気で感じた。

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2005/02/04 ブラジルの新聞

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私は新聞が読めるほどの語学力は到底ついてない。だけど、パートナーが読むのを横からのぞいて見ることはできる。こちらの新聞は、写真がすごい。スマトラ沖地震のときは、死体がぷかぷかまるでマネキンのように浮いているビーチの写真が載っていたし、以前スペインの列車のテロも、人とは思えない重症を追った人の写真が載っていた。信じられない。
百聞は一見にしかず。写真を通してだけれど、言葉がなくても、一番いいたいことが、心にはちゃんと届く。

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2005/02/03 お水屋さん

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サンパウロの水道水は飲めるという。だけど、飲んでいる人を知らない。大概のおうちは、私のようにミネラルウォーターを頼んでいるか浄水器をつけている。お水屋さんは、頼んだその日に来てくれる。夫婦二人だと一週間で20Lくらい消費している。ご飯を炊くのも、お茶を入れるのも、味噌汁も全部これだ。お水は電話で注文するのだけど、最初はポルトガル語ができないから、パートナーに毎週毎回頼んでいた。それがやっぱり嫌で自分で言うようになったのは半年後くらい。相手から質問が出ないように一気に言う。
「20リットルのお水の樽を一つ、○○まで運んでくださいおつりの準備はいらないです。」でも、たまに「え?どこ?」とか「何リットル?」とか聞き返される。最初はそれが怖かった。だって何を言ってるかわかんないんだもん。だけど、私もたくましくなって、ちゃんと答えるか、同じことを最初から堂々と言ったりする。
お水のボトルは汚れている。そのまま積まれて運んでいるし、リユースしているので、傷も多い。だから、家に運ばれてから、一度全体を雑巾で拭いて、更に口のところは少量のアルコールで消毒している。ひっくり返して、ホルダーに入れるのはパートナーがやってくれる。これは男性じゃないとできない仕事で、お水を運んできたおにいちゃんに頼む人も多い。でも私は、予備で持ってきてもらうので、運び代と水代160円を渡して帰ってもらう。この水を頼むフレーズは、今はメモを見なくてもいえるよ。

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2005/02/02 石焼ビビンバ

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お友達に誘われて、お昼ご飯に韓国料理を食べに行った。いつもはアクリマソンという住宅街の地区のレストランに行くけれど、今日はボンヘチーロという繁華街の地区だった。ハングル文字が看板にならぶ韓国エリアだ。レストランはきれいで、ビビンバには前菜とスープとすいかが付いてきた。韓国料理の前菜が好きだ。いろんな種類が食べれて、それだけで楽しい。ビビンバもおこげができて、たくさんのご飯もぺろりと食べてしまった。おいしかった~☆それから、韓国食材店へ行って、キムチを購入。これで家でも楽しめる♪
キムチは既に日本でも地位を確立している気がする。私は、自分をアジア人とカテゴリーするのが結構すき。

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2005/02/01 快気祝い

020105festa_5一緒に勉強しているお友達が元気になった。9月から手術と入院を繰り返し、歩行器で体を支えながら、来てくれた。私の入っている「ブラジルを知る会」7期には、年齢に幅があり、私29歳から彼女60歳までいる。駐在妻、日本人移民、配偶者が日系ブラジル人の日本人、配偶者が非日系ブラジル人の日本人とさまざまだ。
大きな抹茶ケーキを用意して、ろうそくを消した。彼女は、「みなさんはお忙しいのに、差し入れしてくれたり、顔を見せてくれたりしてくれたおかげで、本当に勇気付けられました。言葉では言い表せないくらい、感謝しています。ありがとう。」と涙を流していった。病気と闘っている彼女は、ずっと頑張っていた。その頑張っている姿勢があったから、私は何か力になりたいと思って何度か訪れた。彼女が元気になってくれて本当に良かったと思う。一時は、UTI(集中治療室ICU)にもいたくらいだし、人工関節を入れた治療痕をみたら、脚の半分以上に縫い痕があって大手術だったのが分かる。
彼女がやっと復活したのに、わざわざ素敵なふきんをプレゼントしてくれた。またかわいい手作りのポーチも下さった。ポーチの中には、「ブラジルの思い出をたくさん詰め込んでくださいね」とあった。私はブラジルの思い出じゃなくて、彼女との思い出をたくさん詰め込んでいこうと思った。ブラジルでたくさんの大事なお友達ができて、わたしはブラジルをもっと好きになる。

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2005/01/31 29回目のお誕生日♪

0131_3今日は29歳のお誕生日。日本の時刻の、私が生まれた時間に、母親は電話をかけてきた。朝から久々に晴れ、青空が広がって、気分はものすごくいい。友達からはメールやカードが届き、今日の午前中は、一緒にコーヒーの勉強をしているお友達からはお花束と、なんと、ランチまでご馳走してもらった。誕生日のために、私は好物のチーズケーキを焼いた。当日に美味しく食べれるように、前日の夜に作っておいたものだ。夜はパートナーと食事に行くよ。大好物のピザとビールで乾杯するんだ(^-^)そして帰ってきたらチーズケーキを食べよう♪
誕生日の嬉しいことは、家族や友達が誕生日を覚えてくれたり、祝ってくれること。それぞれにみんな忙しい中で、記憶にとどめておいてくれたり、おめでとう!と言ってくれるのは、本当に幸せだ。私が幸運なのは、パートナーや家族をはじめ、たくさんの素晴らしいひとたちに恵まれたということだとおもう。

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2005/01/30 中央卸売市場セアザ

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中央卸売市場セアザに行った。以前行った市立市場より規模が大きくて、現在はここセアザがサンパウロの台所だ。とにかく何でもあって、フェイラより店舗数が多く、品揃えも豊富、新鮮で値段は安い。野菜、果物、卵、チーズ、肉、魚、調味料、植物などフェイラでも見る分野のほかに、金魚&熱帯魚屋さんと日本食材のお店もあったよ。日本食材メーカーの出張店舗で、豆腐やおあげなどなんでも買えた。お友達夫婦に連れて行ってもらっていたので、一緒にいろんなものを買った。野菜や果物、鶏肉のほかに、この日は、パンの上に乗せるナスとドライトマトを漬けたつまみや、普段は買わないお魚を買った。0130_20
お魚は苦手だ。だって、さばかないといけないから。一匹ごとまるまる売っていて、キロとか一匹で買う。魚は肉と違って、分かりにくい。サーモンやたこ、いか、えびなんかは一目で分かるけど、魚は顔が付いているのに、むしろ分からない。まったく不幸なことだ。でこっぱちなこの魚は、GALOと書いてあった。悪人面だ。0130_24
ポルトガル語は何の助けにもならない。お友達と一緒だったので、すぐそばで味噌漬けの方法とか、食べ方とかをきいておいた。今日の夜は魚にしよう。チリ産のウニは、お友達と半分ずつ買った。半分でもお鉢にどかんといれて、800円くらい。贅沢だなぁと思った家に帰ってきてからは、魚と格闘だ。内臓とウロコは処理してある。でも、まな板にドンと魚を置いたら、私は魚と目があってしまって、どうしたもんだか、困ってしまった。きゃぁなんて言うキャラじゃないけど、うろこを取った魚のボディは、妙に気持ち悪い。これはTainha(ボラ)。そこでパートナーにエプロンと場所を譲り、三枚卸にしてもらった。味噌漬けにした。彼は、本を片方に置き、見ながらやっていた。0130_30
二匹目はサヨリ。このときは、早くもパートナーの腕は確実に上達し、美しい三枚卸になっていた。魚はきっと喜んでいたと思う。分けてもらった貝のお味噌汁も初めてで、どんぶりに一杯の貝…。パートナーは絶句。だって、貝は鮮度が命と思ってね。次回は保存を工夫しよう。0130_38
ウニもこれでもかーってくらい、食べた。わさび醤油に、海苔もまいて、むふふ。食べきれず、冷凍へ。次はウニ飯だ!なんだか、とっても贅沢な夕食でした。

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2005/01/29 光の花

0129ここのところ、ずっと天気が悪い。夏なのに、青い空が見えない。洗濯物も乾かないし、家の中も暗いし、ちっとも夏の気分を味わえない。ずっと天気が悪いから、当然、馬場はぐっちゃり。2週連続のパセイオ。それでも馬上体操してみたり、いろんなものを探す。馬にのれば、見える景色はいつもよりぐんと高い。この日は、パイナップルがなっているのを、庭先に見つけたよ。0129_9この黄色い花は、暗いグレーの重い雲の中にピカッと咲いていた。黄色がまぶしいくらい。花びらが分かれてなくて、花は終わると、ボテッと地面にそのまま落ちる。うまく着地すると、地面に花が咲いているみたいでかわいい。私はよく道に落ちているのをわざと、木の枝につけたり、地面に角度良く置いたりしている。
乗馬クラブの裏には、小さい池があって、子供が釣りをしていた。ミミズをつかって、釣りをしていて、ザリガニや、少年いわく、少年が肩幅に、手を広げたくらい大きい魚もとれるんだって。彼はかなりの釣り師とみた。

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2005/01/28 ピンクの生姜

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最近新生姜が出回っている。茎がすっと伸びて、売っている。生姜から茎に伸びるところが、鮮やかな紫色のグラデーションになっている。友達が、「甘酢漬け、美味しいよ」と教えてくれてから、気になっていた。そこで早速作ってみた。切っているそばから、ミョウガのような、菖蒲のような、とにかく、懐かしいいい匂いがする。0131_1
皮はあるような、無いような薄さで、それを薄くむいて、薄く切る。それを沸騰した塩水にくぐらせて、湯を切る。そして、砂糖1とお酢3の入った小瓶に入れていく。生姜は、湯を切った後にぐーんと匂いが増していた。わくわくする。きっと美味しくできるに違いない。不思議なことに、液体に漬けていくと、薄いベージュの生姜がどんどん薄いピンクに染まっていく。透明のピンク。とってもきれいで、かわいい。半日経って、食べてみた。ツーンときた。おいしー☆なんたって、過程を知ってるから、私の舌はそれもちゃんと理解して美味しいと感じるらしい。

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